ノマドな海外移住計画
歩き続けること
公開日:2016.07.15
/ 最終更新日:
体験レポート

視覚を失ってわかること – ダイアログ・イン・ザ・ダーク

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闇を光で払うことを知っているが故に、暗闇を恐れるのか。
それとも暗闇を恐れるが故に、光を求めるのか。

いずれにせよ、人は暗闇に対して根源的な恐怖を持っているように思う。

もし、一分の光も差さない場所にいたら、私は何を思うのだろう。

ちょっとそれを確かめにダイアログ・イン・ザ・ダークなるものに参加してきた。

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは?

ダイアログ・イン・ザ・ダークのサイト
(引用:ダイアログ・イン・ザ・ダーク)

全く光の差さない空間を、視覚障害者に連れられて歩くツアー。
8人ほどのグループで、互いに声を掛け合いながら闇を歩き、遊び、暗闇の中で語り合う、というのがコンセプトらしい。

とりあえず、私は「語らい」というよりも、暗闇の中で自分の感覚がどう変容するのかが気になっていた。

ツアー開始

ツアーの始めでは徐々に蛍光灯の明かりを落として完全な暗闇に慣らしていく。
正直、その瞬間に身構えていたほどの恐怖はやってこなかった。
ただ空間の中に自分の身体感覚が浮かんでいることを実感して安堵。

暗闇の中を歩く

そのあと視覚障害者の導きの元に、公園を模した部屋、芝が敷かれた部屋などを回る。
もちろん自分の手元も見えない状態のため足元もおぼつかず、参加者同士、体が触れ合うたびに「これは誰?私は◯◯」と声を上げながら進む。

ふと、そこで気がついた

全く見えなくても他の参加者の居場所が気配でわかるし、自分のいる空間の広さもだいたいわかる。
視覚が閉ざされているために、感覚の触手を伸ばしていくのが楽だった。

あと数歩前に出れば伸ばした手が壁にぶつかるな、とか。
自分の左前方にある一部天井が低くなっている場所に誰かうずくまっているな、とか。

演劇で鍛えられてきた空間把握的感覚の延長線上にある感覚だけれど、舞台上で感じるよりもずっと敏感。
新しい発見だった。

暗闇の中で語らう

さて、ツアーの後半あたりでは、芝生の上に寝転がって参加者全員で駄弁ってみた。

全員がほぼ初対面なのに、会話が苦じゃない。
友人同士とまでは言えないが、お互いに親近感に似た感情を抱いていたように思う。

会話に加わりながら、いつか中学生の頃に読んだ小説の登場人物の言葉を思い出した。

「夜になると話ができるのは、自分の内と外が同じ暗さになるからだ」

自らの悲惨な過去を語るときにいったセリフだけれど、会話の内容如何に関わらず、彼のセリフはこのときの私の体験をうまく表現しているような気がする。

「相手に見られる」こともなく、「相手を見る」こともない暗闇の中では、自分の身体感覚はしっかりとあるのに、外界と自我の境界線が曖昧になる。

闇に浮かぶ自己と、前方にある他者の気配。
その2者だけが何にも遮られることもなく、そこにあるという感覚。

自分の感覚と相手の感覚が直接言葉を交わしているような錯覚が、どこか心地よかったように思う。

それは、普段抱くことのできない、非常に奇妙で新鮮な感覚だった。
視覚を失うことで得られる開放感ともいうべきものだった。

結論 それでも・・・

それでも、もし今「五感の中で一番失いたくないものは?」と聞かれれば、やはり視覚だと答える。

でも視覚を手放さないことで非常に多くのものを犠牲にしているのには気づいた。