ノマドな海外移住計画
歩き続けること
公開日:2018.10.15
/ 最終更新日:
「私」について

今だからこそ言える「モンゴルに行こうと思った」理由、私が「フリーランスになりたい」理由

モンゴルの草原

2011年。大学3年次のときにモンゴル国立大学に留学してから、気づけばもう7年が経ちました。
大学を卒業後、自己紹介をするときは必ず「モンゴルに留学していました」ということを外さずに話してきました。

振り返れば、モンゴルへの留学は自分にとって必然だったからであり、モンゴルでの生活は自分という人間の根っこに関わる話で、そのこと抜きで自分を語れないように思っているからです。

そもそも海外での1年間の留学は、大学卒業のための必須要件となっていたので、在学中にどこかしらへ留学に行く必要がありました。

大学に入学する前は「きちんと英語を勉強したいし、留学先は英語圏の学校かな」なんて言っていましたが、いざ留学先を決めるとき、私の脳裏にはモンゴルの大草原がありました。

留学候補先として、北米 ・欧米を中心に100校以上が大学の提携校となっています。
実際、毎年100人程度が留学に旅立つこの大学で、モンゴルを選ぶのは1人いるかいないか。
そもそも、モンゴルでは英語なんて全く通じません。

それがわかっていて、「英語をきちんと勉強したい」と思って大学に入ったのに、なぜ英語が全く通じない国を留学先にしたのか

今「フリーランスを目指そう」と思った根本の理由でもあるので、一度整理しておきます。

私に影響を与えたもの

転校生

小学生の頃、私の学校に何人か転校生がやってきました。

その子たちは、それまでの生活していた土地から離れてやってきた「外」の世界の住人で、私の知らない世界の住人でした。
どこか異質性に惹かれたのか、自分の知らない世界を知っているという事実そのものに、強い憧れがありました。

いつか自分も引っ越しをして、転校生になりたい。
気づいたら、両親に「うちは引っ越ししないの?」と繰り返し尋ねるような子どもになっていました。

民話「スーホの白い馬」

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小学校の何年生だったかは忘れましたが、国語の教科書に「スーホの白い馬」という物語がありました。
モンゴルの民族楽器である馬頭琴の誕生にまつわる民話です。

モンゴルの草原に、スーホという貧しいながらも心優しい少年が住んでいました。
ある日、スーホは倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大事に育てました。
スーホと白馬は朝起きてから、夜眠るまで何をするにもいつも一緒でした。

【民話】スーホの白い馬【あらすじ・ネタバレ】

この話を読んだとき、頭をハンマーで殴られたような、目から鱗が何枚も落ちるような感じを受けたことをはっきりと覚えています。
「内容が感動的だった」とかではなく、ただ「モンゴル」という自分の全く想像のつかない世界がこの世の中にある、ということ、にです。

正直、話の筋は細かいところまでは記憶していません。
スーホという主人公に馬が馬頭琴を作ってくれと頼んだ、くらいしか覚えておらず、留学前に改めてあらすじを読んで「そういう話だったのか」と改めて認識した、くらいの感じです。

でも、逆に言えば「モンゴル」という未知の世界が存在するという衝撃がすごく大きかったのです。

そしてぼんやり「いつか行ってみたい……」と考え始めました。
当時は自分が日本を出て海外に行くことは全く想像がつかなかったので、かなり夢物語だったのですが。

(留学中に、実はこの「スーホの白い馬」はモンゴルではほとんど知られていないという事実に驚愕したのはまた別の話)

芭蕉の「奥の細道」

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中学生の頃、国語便覧に乗っていた芭蕉の「奥の細道」の序文を暗記させられました。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。

松尾芭蕉「おくのほそ道」

芭蕉は「日々旅にして旅を栖(すみか)とす」人々に憧れて旅に出た、ということですが、私はこの文章を初めて見たときに「めっちゃわかる!!」と心の中で叫んでいました。

別に自分は旅行が好きだとか思っていたわけではないですが、この頃、自分の知覚する「世界」のサイズの小ささに気づいて落胆していたことが強く影響していると思います。

もちろん、世界地図をみれば自分の住んでいる街どころか日本はちっぽけで、広大な海・大地がこの世の中にあることは「知識」として入手できます。
テレビをみれば、時に海外の様子も伺い知ることができます。

でも、地図帳を閉じた瞬間、テレビを消した瞬間、私の生活空間から「大きな世界」の存在は消えて、直接視覚・触覚などで認識できないかぎり、「大きな世界」は存在しているかどうかも危ういものになる。
私が認識する「世界」は、直接目でみて、手で触れられる狭い範囲でしかなく、強制的に「私の世界」は小さいままに留められてしまう

部屋のドアを閉めてしまえば、その外に何があるかは私の認識世界から締め出されて、存在が希薄になる。
ドアの外は、本当に存在しているかどうか危ういものになってしまう。

こういった認識の有り様に落胆を覚え、日々「私の認識する世界の外側」についてぐるぐると考えていたんです。

今から思えば、ひどく小難しいことを考えていたような気もします。
でもこの「世界の小ささ」に気づいたことが、長年私を「旅を生活とする」こと、つまり「自分の認識する世界を押し広げ続ける」ことに対する憧れへと駆り立て続けてきました。

自分の日常の世界という枠を飛び越え、ただ知らない土地から知らない土地へ移ろい続ける。
日々変わりゆく日々に、非日常に身をおいておきたい。

旅が日常になったら、なんて楽しいだろう。

その時、その衝動が「モンゴルの遊牧民」という言葉とがっちり手を組んだのを覚えています。

ハケンの品格

2007年に放送されていた、改めて説明するまでもない有名ドラマ「ハケンの品格」

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私は、このドラマの筋はほとんど覚えていません。
「スーホの白い馬」と同じです。
どうやら私の記憶能力はかなり適当なようです。

ただ、どうしても忘れられない1シーンがあります。
篠原涼子演じる春子が、スペインの草原らしき場所で焚き火を囲んで何人かと座っているシーンです。
本当に冒頭の数分だったと思います。

場所がスペインなのはわかっていたのですが、この時なぜか、その草原がまだ見たことのないモンゴルの草原のような気がしてしまったのです。
そして「日々旅にして旅を栖(すみか)とす」る遊牧民たちの生活に、私も混ざりたいと思ってしまったのです。

当時、実際にモンゴルの遊牧民たちがどんな生活をしているのか、詳しいことは知りません。
ただ、私はそこに行きたい、行かなきゃだめだ、と思ったのを覚えています。

気づいたら手にしていた大草原への切符

モンゴルに行くんだ、との思いがあったものの、それは遠い夢物語の話でした。
どこかで「モンゴルというかなり遠い世界での話は実現はしない」と考えていたのです。

しかしそれでもぼんやりと「日本の外に行って、世界をこの目で見たい」ということは思い続けており、海外に行くだけなら実現できそうな気がしたので、海外留学のできる道を探しました。
そして、海外に行くのであれば英語が話せるようになることが第一条件だと思い込んでいました。

そこで、1年の海外留学が義務付けられている面白そうな大学が見つかり、なんとかそこに入学することができました。
「まずはここで英語を勉強しよう」と思い、だからこそいつか英語圏の大学に留学しようと思っていました。

国際教養大学の講義室

それとは別に、やはりモンゴルに対する憧れはあったので、大学でひっそりと開講されていてた「モンゴル語基礎」の講義を受けることにしました。
単純に、人のしないことをしたい、という天邪鬼な好奇心もありました。

そして留学先を決める段になって、ふと提携校一覧の中に「モンゴル国立大学」の名前が挙げられていることに気づいたのです。

「あ、モンゴル行こう」と、ある意味天啓のように思いました。

しかしその一方で、本当にモンゴルにいくのか、かなり悩みました

そもそも、海外に出て行くために英語が必要だと思っていたのに、当時は自分の英語力のなさにかなりコンプレックスを抱えていました。
だからこそ、留学中は英語圏に行って、自分の英語になんとか自信をもてるようになりたいとの思いもありました。

しかし、最後には友人にも背中を押され、モンゴルを選びました。

あえてモンゴルを選んだことに、高尚な動機なんてものはありません。
ただ幼い頃から憧れ続けてきた、見知らぬ「モンゴル」に、ただ「行きたい」。「自分の目で見てみたい」

その衝動だけで、大学の事務局に「第一希望はモンゴル国立大学」と申請したのを覚えています。

モンゴル国立大学 1号館

モンゴル留学中に気づいた「非日常はたやすく日常になってしまう」ということ

2011年1月27日。
生まれて初めて日本から飛び出し、モンゴルの国際空港に降り立ちました。

そのあと、留学中は初めて触れる異文化・異空間に圧倒され続け、翻弄され、刺激の多い毎日を送りました。

夏休みの期間中には、モンゴル北部で遊牧生活を続ける家庭に2週間ホームステイをさせてもらい、念願の遊牧民生活を体験することができました
(この1年間で体験したことは数かぎりないのですが、ここでは詳細は割愛します)

とりあえず目にするもの全てが新しく、言葉の通じない土地で生活するのに必死でした。

ただ留学から半年も過ぎた頃、ふと「モンゴルでの生活が私の当たり前の日常になったな」と思いました。
日本にいたころの「認識世界の外側」だったモンゴルが「私の日々暮らしている小さな世界」になっていたのです。

モンゴルに旅立つ前、友人には何度か「1年間の留学だけじゃ足らなくて、気づいたらモンゴル国立大学に編入しちゃってるんじゃない?」と言われました。
実際、私も「その可能性はある」と思っていました。
長く憧れ続けて来たモンゴルに、たった1年で満足はしないだろう、と。

しかし、半年も経てばモンゴルは日常の「小さな世界」になり、非日常の「外側の世界」ではなくなってしまったために、自分の中でモンゴルに長居する必要がなくなってしまったのです。

いつか、またモンゴルには行きたいと思っています。
モンゴルはある意味「第二の故郷」と言えなくもありません。

でも、定住するところではありませんでした。

私は「外側の世界 = 非日常に身を置きたいと思い続けるから、旅を生活にしたいと思う」ということを知り、当初の予定通り1年で留学を終えて日本に帰って来ました。

旅をし続ける「流浪の民」になるためにフリーランスを選ぶ

2013年に大学を卒業した後、ひょんなことから東京に引っ越し、演劇の世界に少し身を置くことになりました。
時折、演者として舞台に立たせていただける機会もあり、演劇というツールを通して、不定期ながら非日常を擬似的に体感することができました。

その後、4年間演劇の世界に関わり続けましたが、紆余曲折あって今は演劇から距離を置いています。

演劇による擬似体験もいいのですが、そこから一歩でも離れてしまうと、変わらない東京での「小さな世界の中の生活」に舞い戻る日々。

いっときは演劇によって緩和されていた「旅を生活にしたい」という思いがまた鎌首をもたげて来ました。

賃貸契約している部屋を引き払い、家財道具を処分して、全財産をスーツケースひとつにまとめ、彷徨いながら行きていく流浪の民になりたい。

時間が経つにつれ、そういう思いが強くなって行きました。

しかし、現実問題として、生活するにはまずお金がいる。
無一文でとりあえず旅に出る暴挙はできません。

幸運なことに、私は中学生の頃からプログラミングが好きだったため、今は場所に縛られずに生計を経てられるフリーランスになりたいと思っています。

移動したいときに行きたい場所に行く。
「日々旅にして旅を栖(すみか)と」しながら行きていく。

流浪の民になることが今の夢です。

余談:死ぬ間際に見たい景色

余談ですが、時々どういった瞬間に死にたいか考えることがあります。
その時、必ず思うのは「道を歩いている途中で事切れるものいいな」ということです。

どこか広い空が見える開けた土地を歩いている時に力尽きて、仰向けに倒れながら息絶えたいと思っています。
そして願わくば、鳥葬というか、自然の流れの中で土に還元されて消えたいです。

いつか死んだあと、燃やされて灰になり、先祖代々が眠る墓に入れられるのかもしれないと思うと、少し怖くなることがあります。
先祖と一緒になることが怖いのではなく、死んだあと、一つ所に収められてしまうことが怖いな、と思うのです。

墓も遺品もいりません。
私の存在のよすがになるものがどこかにあるのも嫌だなぁとぼんやり思うのです。

どこかに留まること。留められること。
おそらく、私が私である故に忌避するものなんだろうと、今は考えています。